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里芋の煮っころがし/食の記憶

里芋の煮っころがし/田舎飯

僕が少年のころの食の中心は,田舎で採れた野菜などを使った料理だ.
田舎では秋になると里芋がたくさん取れた.
特に根っこにごろごろとついた「ころ芋」というものがあった.
里芋があまり好きではなかった少年は嫌々食べたものだ.

何故か今では田舎への郷愁とともに里芋が食べたくなる.
スーパーで里芋を買ってきて,昆布,酒,醤油のみを使ってとろ火で炊いてみた.

酒の肴にちょうどいい.
(2006/7)

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うなぎ/食の記憶

うなぎ
(写真 東京西麻布いわ田の特注天然うなぎ)

小学校5,6年のころだっただろうか.
夕方,父が川にうなぎを釣りに行くと言い出した.
家の裏の川の天然うなぎだ.
この川は,大川の支流で,両側に石垣のある幅約1.5メートルくらいの水量の多い小川だった.

そもそもあんな川にうなぎなどいるわけないと思った.
いたとしても釣れるわけないと思った.

父は仕掛けを作った.
10メートルくらいの凧糸の先に大きなうなぎ針を取り付けるとと,凧糸のもう一方の端に竹片を結びつけた.
これを数個作った.
川に向かう途中,父は,途中の小川でザルを使って,”げにはち”と呼んでいた赤みがかかったゴリに似た魚を何匹か捕まえた.
うなぎのえさにするのだ.

裏の川に行くと,父は,げにはちを針につけ,凧糸を竹片に巻き付けた.
これを川の側面の石垣の間に入れて固定した.
げにはちをつけた針は,川の中に沈めた.
何カ所かに仕掛けた.これで朝まで待つのだと言う.

翌朝,半信半疑のまま父について行くと.石垣に仕掛けた仕掛けの一つから凧糸が小川の中に延び,その先に白い腹をしたヘビのような長いものが川の流れにたなびいていた.
天然うなぎだ.
本当に釣れるのだと驚いた.
父の偉大さを実感したものだ.

さて,その天然うなぎだが,その後,食べた記憶がない.
食べたがその味を忘れてしまったのかもしれない.

ふと,そんなことを思い出すと,天然うなぎが食べたくなった.
妻に家の近くの高級魚屋「いわ田」(東京/西麻布)に予約してもらった.
届いた天然うなぎは立派なもの.
おそろしく高価だ.
半身で\7000.

自宅のベランダで炭火で白焼きにしてみた.
天然わさびと醤油で食べてみた,
油が乗っていて旨い.
実に旨い.
天にも昇る気持ちだ.

この味に触れて,あの少年の時の思い出のうなぎは,父が僕に内緒でこっそりと食べてしまったのではないかとの疑念が頭をよぎった.
(2006/7)

田舎うどん/食の記憶

田舎うどん/田舎飯

僕が少年のころ,母がよくお昼に作ってくれた.
濃い目の甘辛いつゆに、なす,たまねぎ,ねぎの具.
乾麺を茹でたうどんに,この具入りのつゆをかけるのだ.
ごはんと一緒に食べた.

実は、子供のころ、このうどんがあまり好きではなかった.
いかにも田舎臭い味のうどんだったからだ.
インスタントラーメンのほうがよほど旨いと思った.

長じて久しぶりに食べてみると,実に素朴かつ深い味わいがある.
ヘルシーそのもの.

味の記憶を便りに再現してみた.
旨い.
僕にとって,今やどんなうどんよりもおいしいうどんの食べ方なのだ.
(写真 自作の田舎うどん再現 2006/8)

田舎そば/食の記憶

田舎そば/田舎飯

単なるかけ蕎麦だ.
乾麺を茹でてうどんと同じようなつゆをかけただけのものだ.

蕎麦といえば,ざる蕎麦もある.

だが,当時は,今のように市販のつけつゆがなかったせいか,お家で食べる蕎麦はかけ蕎麦だった.
日常食べることもあったが,印象深いのは年越しそばだ.
母が作るつゆは旨かった.
少し甘めのつゆだった.
素朴な蕎麦とよく合って僕は大好きだった.
だから,僕は,今でもざる蕎麦よりもかけ蕎麦のほうが好きなのだ.

現在家で食べる蕎麦もかけ蕎麦が多い.
もちろんざる蕎麦も好きなので,結婚してからは,市販のつけつゆでざる蕎麦を食べることもある.
それに冷やし蕎麦も・・・.

晩酌の後.
今日は田舎そばにしよう.
(2006/11)

たまごかけごはん/食の記憶

たまごかけごはん/田舎飯

昭和30年代から40年代.

僕が少年のころだ.
どんなごはんを食べていたのだろうか,
当時の田舎の少年の誰もがそうであったんだろう.
たまごがけごはんだ.
僕のごはんの原点だ.

戦後の田舎の食事といえば,米,蕎麦,うどん,みそ、野菜,とうふ,たまご,山菜・きのこ,川魚等を使った伝統的な田舎料理だ.
ほかにはせいぜい田舎の商店で売っている缶詰,魚や肉の加工品,コロッケ・佃煮などの惣菜くらいのものだったろうか.

たまごは,どこの農家でも 鶏が飼われていたから,比較的豊富にあったのだ.
今でもシンプルでおいしいたまごかけごはんが無性に食べたくなることがある.

妻がスーパーで烏骨鶏の卵を買ってきた.
1個680円の高価なもの.
たまごかけごはんにしてみた.
烏骨鶏の卵は小さい.
2個使った.
とんでもなく高いたまごかけごはんになってしまった.
地鶏特有の濃厚な卵.
う~ん、最高・・・・.
あっさりとした大根の味噌汁と良く合った.
(2006/7)

食の記憶/軌跡

食の記憶/昭和の郷愁

食の記憶

じょばんにが少年のころ.
じょばんにの家は,中部地方のとある山村の中心部を流れる川の河岸段丘の上の高台にあった.
田舎にしては都会的な小さな木造住宅だった.
澄んだ空と白い雲,木々や林や森 や美しい田畑に囲まれた家だった.

じょばんにが生まれ育ったのは昭和30年代から40年代.
高度成長期.
敗戦によりどん底まで落ちた日本が,急速に経済成長を遂げていった時代だ.

じょばんにが住んでいた田舎にも洗濯機,テレビ,冷蔵庫などの電化製品が普及していった.
一般家庭でも自動車が持てるようになった.
食生活では,田舎の商店にも,カレー、ラーメン,ハンバーグなどのインスタント食品が並ぶようになった.
パンやお菓子も豊富になった.
田舎の生活も大きく変わっていったのだ.

食の記憶

じょばんにが2~3歳のころ,最初に買ってもらったおもちゃ.
ダイハツミゼットだ.
おばあちゃんに買ってもらった.
ブリキでできたかなり大きなもの.
いや、幼かったから大きく見えただけかもしれない.

裁縫の内職をしていた母が践むミシンの音や台所でまな板を叩く包丁の音.
これを聞きながら,畳の上でブーブーと言って動かしながら遊んものだ.
(写真 ダイハツミゼット初期型 昭和の郷愁サンニイ情景友の会HP作品ギャラリー「鶴亀商店」より)


食の記憶/大衆食堂

食の記憶

昭和50年代の初め, じょばんには,大学に進学して故郷を離れた.
戦後間もなくの昭和の面影を色濃く残す大都会の下町で,一人下宿生活を送ったのだ.

食事は,金がな かったから,学生食堂,大衆食堂,路地裏のラーメン屋で食べた.
行きつけの大衆食堂は,コンクリート叩きに古びたデコラのテーブルとパイプ椅子.
薄汚い食堂だ.

店内のガラスケースの中には,焼き魚や煮物のおかずが並んでいた.
大盛ご飯にみそ汁と食べた.
道路工事の作業員や工場の工員の人々の中に混じって一人黙々と食べた.
それでも,少年のころに田舎では食べたことのなかった新しい食と次々に出会った.
カツカレー, カツ丼,ハンバーグ,メンチカツ,オムライス ,スパゲティなど.
貧乏学生のじょばんににとっては大きな驚きだった.
学食や大衆食堂で食べたあの時の味は,どれも昭和レトロな懐かしい味ばかりなのだ.
(写真 マル米食堂/函館市若松町) 


食の記憶/じょばんに軒

じょばんに軒.
現在のじょばんにの家の食堂をこう名付けることにしよう.
就職し結婚して経済的余裕もできた.

ありとあらゆる食がある現代.
じょばんに軒には様々な食が並んでもいいはずだ.

いや,じょばんににとっての食の原点は,田舎飯.
そして,貧乏学生時代に食べた大衆食だ.
今でもこれがじょばんににとっての食なのだ.
(2008/8)

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